『科捜研の女』12シリーズ第1話再放送を見て思うこと
●主人公たちの正義とは
番組のラストで、「冤罪を作ってもよいのか?」と詰め寄る土門(内藤剛志)に対して、「冤罪はよくないが、ためらっている間に新たな被害者を出すことのほうを恐れる」と一歩も譲らない芝美紀江管理官(戸田菜穂)。
芝が去ったあと、「反省の色がない」と不満げな土門に、刑事部長の口から、彼女が捜査中の不手際を関係者に謝罪し、正式な処罰を受けることが告げられます。ちゃんと反省しているわけですね。
そのやりとりを主人公のマリコ(沢口靖子)は無言で見守っていて、とくにリアクションはありませんでしたが、自分としては、「あなた達も少しは反省して、処分を受けら?」という気がしてなりません。
このシリーズはたまに見る程度で熱心な視聴者というわけではないのですが、どうも主役2人の言動が鼻につくんですよね。「自分たちは絶対正しい、自分たちのやり方こそが唯一無二の正解」と思いこんでる節が感じられてならないのです。
劇中では、彼ら自身、そういう独善的な行為を否定するセリフを口にすることはあるのですが、組織の命令系統を平然と無視し、ときには法律すら無視しておいて、犯人の前では平然と正義を口にするダンブルスタンダートが気になってしょうがありません。
●自分はいいけど他人はダメ
あるシリーズで、マリコが警察の監視下に置かれたときなどは、マリコの部下が、よその署が保管していた証拠を無断で持ち出していました。これは証拠の汚染につながり、本来であれば、その事件の証拠のみならず、マリコ一派の関わった証拠品すべての正当性が損なわれる重大な失態です。にもかかわらず、マリコも土門もそのことには一言も言及しないんですよね。
そういう人間が、上から目線で他人に説教する本作は、どうにも好きになれません。この他罰的な傾向は同局の『相棒』にも見られるので、もしかしたら局内にそういうスタンスの方がいるのでしょうか?
ドラマは作り物なので、べつに目くじらを立てる気はなく、しょせん好き嫌いの問題なのですが、現実でもそういう言動をする方がいたらあまり近寄りたくはないですね。