sangak’s diary

自民・赤池議員「友達にも国境はある」

げんきの絵本 こうつうあんぜん  はじめての シールえほん

 

ちびまる子ちゃん」キャッチに抗議の自民・赤池議員
「(友達に)国境はないと嘘を教えてはいけない」(AERA
https://dot.asahi.com/dot/2018032400007.html?page=2

 前川喜平・前文部科学事務次官の授業への介入が問題化した自民党文科部会長の赤池誠章参院議員が、アニメ映画「ちびまる子ちゃん イタリアから来た少年」のキャッチコピー「友達に国境はな~い!」でも、文科省に猛抗議していたことが発覚。話題となっている。文科省東宝とタイアップして映画を制作、2015年12月に公開されていた。
(中略)
 回答では「教育行政を司る文部科学省として、子供向けとはいえ、『国境はない』という嘘を教え、誤認をさせてはいけない」「国境は歴然としてあります」と、抗議の理由をあらためて説明。そのうえで、「私なら(キャッチコピーは)『国境があっても、友達でいよう』と名付けた」と述べた。
(以上、記事より抜粋)

 えっと、この方は何をおっしゃりたいのでしょうか? 揚げ足をとっているだけにしか思えないのですが……。
 問題視されている「友達に国境はない」という文言は、べつに「友達相手なら国境を無視してもいい」と言っているのではなく、「例え国境で分かたれてはいても、友達同士の間には、人種や出身、年齢なとといった壁は生まれない」と言っているのではなないのでしょうか?
 つまり、国境そのものを否定しているわけではないと思います。
 それに対して、「国境があっても、友達でいよう」とは、「友達になったあと、こうして国境ができてしまったけど友達で居続けよう、できるかどうかは分からないけど」という意味合いに受け取れます。

 さらにいえば、「友達でなければ、人種や出身などによる区別や差別は存在していい」とさえ言っているような印象を持ってしまいます。

内容を細分化すればするほど真意が伝わらない

 子供たちに与えるメッセージとして、どちらが適切か選べと言われたら、個人的には前者を選びますね。
 綺麗事と言われてもいいのです。子供に伝えるメッセージというのは、多少理想的といわれても単純明快であるべきです。
 例えば交通標語の「赤信号は渡らない」。現実問題としては、「残存歩行者がいたら車は停止しなければならない」といった、特別な条件が存在します。
 ですが、そうした細かな条件についてひとつひとつ子供たちに伝えたところで、すべて理解できると思いますか? まず無理です。あれこれ条件付けすると、最も大切な「赤信号は渡らない」という部分さえも曖昧になってしみます。
 仮に特殊な条件について教えるとしても、せいぜい「救急車やパトカーなどの緊急車両が来たときには、信号が青でも渡らない」といったことくらいでしょう。
 現実に起こりうる非常事態や不合理な事態については、子供たちが成長するに及んで、自然と身につけていきますし、そう指導するのが大人の役目です。
 最初から細かな条件まで教える必要はないのではないでしょうか。
 英単語も知らない幼児に、いきなり英語の文法から教えますか? まだ1から10まで数えられないような子供に四則計算をさせますか? そんなことありませんよね?
 それでももし、この方が自論を正しいと主張されるのであれば、とりあえず、ご自身の作った標語が、これまでどれだけ多くの子どもたちの理解を深めたか、具体的な数字をあげて語ってもらいたいものですね。
 それだけの実積と経験があってこその反論だと思いますし、まさか、何の証拠もなく、机上の空論を語るような人間が議員になれるとは思っていませんので。

 

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