sangak’s diary

ドーピング被害も自己責任という現実

 

 

● カヌー薬物混入 鈴木選手がコメント「全面的に私の責任」(毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20180110/k00/00e/050/299000c

昨年9月のカヌー・スプリント男子の日本選手権でライバルの小松正治選手(25)の飲料に禁止薬物を混入させていたとして、日本アンチ・ドーピング機構(JADA)から8年間の資格停止処分を受けた鈴木康大(やすひろ)選手(32)が10日、代理人の弁護士を通じてコメントを発表した。
(以上、記事より)

 本日の『バイキング』では、このニュースに関連して、中国では、ドーピング被害を受けた選手側も処罰を受けた例を紹介。
 国際弁護士・元裁判官の清原博氏は「世界では『自己責任』が常識。『ドーピングされた』と訴えたところで、世界では、『なんで自分でちゃんと管理していなかったのか? 本人にも責任がある』という考えがスタンダード。日本は平和ボケしすぎ」と、日本の危機管理意識の乏しさを指摘。
 被害者さえ罰を受けるという意見に、それまで小松正治選手に同情を示していたスタジオは騒然。
 スポーツジャーナリストの二宮清純氏は「おっしゃっていることは正しいと思いますが、監視カメラをどれだけ設置したところで、加害者がその気になればいくらでもくぐり抜ける」と反論。「ほかの選手を疑うような張り詰めた空気で、果たして本当に記録が出せるのか。やはり、選手個人に、倫理観、スポーツマンシップがないと限界がある。どこかで相手を信用しないと、人間関係が成り立たないでしょう」。
 さらにタレントの薬丸裕英氏は、「スポーツに打ち込める環境がきちんと整っているなら、その言い分も成り立つでしょうけれど、環境が成り立っていないのに、選手の責任されたらかわいそうですよ」と、「選手の責任を問うのであれば、競技の主催者側も相応の監視体制を整えるべきでは」といういう主旨の意見を述べました。
 清原氏のコメントにはショックをうけましたが、やはり国際的な舞台で戦おうとするには、相応の覚悟と準備は欠かせないんでしょうね。「被害者にも責任がある」、「平和ボケ」という言葉は、一見すると冷淡な印象を受けますが、危険が予測されるのに対処しないのは本人の不手際を責められてもしょうがないのかもしれません。少なくとも、世界でそれが常識となっているなら、可能な限り対処しておかないと駄目なんでしょうね。
 とはいえ、オリンピックやワールドカップのように長期間現地にいる場合、食べ物や飲料水に薬を混ぜられたらどうしようもないですよね。そういう意味では二宮氏や薬丸氏の意見ももっともだと思います。

●大人になったら「いじめ」も自己責任?

 なお、スタジオでは、フリーアナウンサー徳光和夫氏が「清原さんの考え方は、例えば学校でいじめが起きたとき『いじめられた側にも問題が有る』と言っているようなものではないか?」と疑問を呈すると、清原氏は「学校のいじめは、対象が子供なので、本人の責任を問うのは違うという考えになるでしょう。ですが、これは大人の話ですから、やはり自己責任は問われる」と反論されました。
 これはちょっと違うのではありませんかね?
 徳光さんの意見も論理の飛躍な印象を受けますが、いじめは大人の社会でも起こりうるでしょう。パワハラやセクハラを自己責任とするかのような発言はいかがなものでしょうか? 弁護士の方にこういうことをおっしゃられてしまうと、ちょっと怖いですね。
 まぁ、このときの清原氏は、四面楚歌状態だったので、コメントを推敲する余裕がないまま口にしてしまっただけだと思うのですが。